読書記録「人はいかに学ぶか」 稲垣佳世子 波多野誼余夫
一文まとめ
人は決して、怠け者でも学習に対して消極的でもなく、本来は自発的に学ぶ優れた学習脳力を有しており、教育では受動的に教え込まれるのではなく、いかにその学習能力を引き出すかがとても大切。
以下感想
「人はいかに学ぶのか」
人は常に学習する生き物なのに、勉強になるとどうして主体性が失われるのだろう。この素朴な疑問に対してわかりやすく丁寧に書かれている。
まず、勉強と日常の違いは必要感・動機付けや知的好奇心を持ってそのことに取り組んでいるかだ。
このことから、教師などの教える立場にある人の大切な視点は「いかに効率良く教えるか」という教え手中心の視点から「いかに学び手の興味関心をひくなどをして、知的好奇心を刺激するか」という学び手中心の視点へと変わらなければいけないと感じた。
ただ、日常の学びのみでは、理解が浅かったり、不十分になったり、本当の面白さに気づけなかったりすることもあるので、学び手自身の知的好奇心を刺激し、主体的に学べるようにしながら教科の本質的な面白さに気づけるような授業デザインや環境設定こそが教師の仕事なのだろう。
他にも、
「対話は正解を求めるためではなく、知的好奇心を刺激するために行う」や
「道具を使うことは人間の優秀さを発揮しやすくする」
「日本の教育システムは物知りが評価されやすいシステム」
「知識があるからこそ学びやすい」
など、今の主体的・対話的で深い学びやICT活用・授業改善の考え方につながる文章も多かった。
その中でも一番印象に残ったのは、
「うまくできるという結果を重視しすぎると、深い理解を阻害してしまう可能性がある」ということだ。
学び手はどうしても結果や手っ取り早さに目が行きがちになる。ただ、その結果、手続き的な面での習熟に終始してしまったり、本来感じられるはずだった教科の本質的な面白さに気づけずに知的好奇心を刺激できない可能性があるということだ。
だからこそ、教え手がいかに、学び方や、学習の過程、そして失敗や試行錯誤の価値を信じ、伝え続けていくかが大切だなと思った。
これからも、「教え込む」ではなく、「学び手の優秀さを引き出す」という価値観で教師として子どもたちと向き合っていきたい。